会社名大平織物株式会社
所在地〒602-8407 京都府京都市上京区大宮通上立売上ル西入伊佐町235
電話075-451-1582
FAX075-451-1615
創業・会社設立創業:大正4年  会社設立:昭和30年
代表平井 基之
営業時間平日 10:00~17:00

代表挨拶

弊社の創業は1915年(大正4年)平松商店として現代表者の祖父(平井松之助)が西陣の現在地に当時は珍しいネクタイ製造の専業者として創業致しました。

日本でのネクタイの始まりは1851年(嘉永4年)2月ジョン万次郎がアメリカから帰国した後に初めて紹介された物と言われて居ります。其の後約50年余の時を経て、徐々に欧米のファッションが日本人の間に広まって来たようです。

それは正に日本で背広やネクタイが一般男性のネオダンディズムとして定着しつつ有る時代に符合しています。

その頃は西陣織の生産手段は主に(極端に労働生産性の低い)手機で、現在の生産手法(高速自動織機)とは隔世の感が有りますが、製造さえすれば右から左へ売れてゆく時代だったそうです。

当時西陣は世界一の織物産地であり、ネクタイの生産はそれらの伝統と技術を駆使すれば、独自でオリジナリティ豊かな製品が自在に生産出来た筈です。日本人の配色やデザインに対する趣向性も独特で有り、その頃の日本人の体格は欧米人と比べ物にならない程小さかった為、日本人向けの全長が短くて、やや細く、芯地を挿入せず、裏地も付けていない、三巻(みつまき)縫製のネクタイが主流だったそうです。その後戦時下では多少生産を中断しなければならない事情も有りましたが、その時には落下傘の素材や作業服の生地を織った事も有ったようです。

戦後間もない頃からネクタイの需要は増大の一途を辿り、昭和30年代には「雨後の筍(たけのこ)」のごとくネクタイメーカーが全国で誕生したそうです。

西陣でも昭和30年~40年代には100社余りのネクタイメーカーが鎬(しのぎ)を削って居りました。その後政府の国内の養蚕家(ようさんか)保護を目的に、安価な海外の生糸は蚕糸産糖(さんしさんとう)事業団が、一元輸入をして国内価格と国際価格の差益の一部を養蚕家及び絹業家(けんぎょうか)に還元して参りましたが、その結果、日本のネクタイ製品の国際競争力は一気に下落してしまいました。他方日本だけが生糸の輸入に大きな関税を掛けた上に、国が一元輸入をすることで生糸生産国を中心に国際的な批判が集中してガットのウルグアイラウンドで1995年には国際価格で自由に海外生糸を輸入出来るようになり、世界中の有名ブランドの多くが西陣のネクタイメーカーの高い技術力と過当競争に依る、ネクタイ製造価格の安さに目を付けてOEM生産を開始致しました。

その頃には、国内のネクタイ製品も国際的なスタイル、サイズに変貌を遂げていました。他方、極端に安価な中国製品が洪水のように日本に流入して、2000年前後には当時の日本のネクタイ年間総需要5,500~5,600万本の40%近くを中国製ネクタイが占めるまでになりました。それに伴って、多くの海外ブランドも格段に生産コストの安い、中国でのOEM生産を始める所が増えて参りました。

それと同時に中国の生産技術も日本や諸外国のネクタイ生産技術を吸収して次第に向上致しました。国内ではバブル崩壊後の2005年夏よりクールビズや東北地方大震災、極端な気候変動等の影響に依り、年々夏場のネクタイ需要が激減して、たった約15年間で日本のネクタイ関連業者の約90%以上が倒産、廃業して消滅してしまいました。このままでは日本のネクタイ生産自体が存亡の危機に瀕していることは自明の理です。西陣でも約100社余のネクタイ業者がたった10社余にまで減少致しました。

確かに地球の温暖化で年々酷暑の夏が続き、都市のヒートアイランド現象も相まって、夏場を乗り切る為、少しでも涼しく過ごしたいのは当然ですが、世界の先進国の中でも日本のオフィスの夏場の設定温度28度は突出して高い温度で有ります。それは労働者の生産性をも低下させる設定温度ではないか?と考えています。その中で、銀行や企業の一部では猛暑の中でもノーネクタイで上着を着用している姿を見ると、何だか滑稽で、本末転倒ではないか?と不思議な気も致します。

日本人の画一的性向だと思いますが、ネクタイを外すよりも上着を脱ぐ方が遥かに体感温度は涼しい筈です。暑いときには先ず上着を脱いで、次にネクタイを外すことも必要だと考えます。他方クールビズの名のもとにネクタイを外していた人達が安価で粗悪な中国やその他の国々で製造したネクタイに辟易して、本当に良質な日本製のネクタイを求め、高級で高品質なネクタイを捜して居られる事も事実です。

夏場でもクーラーの効いた部屋ではネクタイの存在が首の温かさを守り、女性が男性に贈るネクタイも、昔、戦場で恋人や家族が兵士のお守りとしてネクタイを巻いた「愛の印」として今もギフト用品として人気のアイテムであり、男性のお洒落のアイテムとしての存在感は不変だと考えます。それにネクタイはビジネスツールとしても大切なアイテムであることは疑いのない事実です。

世界でトップクラスのネクタイ製造技術を持ちながら、国内の夏場のネクタイ需要の激減に対応出来ずに、リタイアして行く企業が年々増えていることは憂慮に耐えないことと受け止めています。弊社では約15年前に約35社余り有ったお得意先企業が現在では全て倒産、廃業し、その為、多くの負債を抱え、血の滲むような営業努力の結果、現在の約70数社(70数軒)が新しいお得意先となって居ります。従来のネクタイ問屋、ブローカー、小売店が激減し、多くの大学、各種スポーツ団体、公共団体、各種企業、そしてインターネットの普及で新しいスタイルのベンチャー企業が次々に台頭し、異業種企業もネクタイ販売に取り組み、販売方法も大きく変化して、メーカーから直接商品を仕入れて販売して行く事も普通になって来ています。

その場合は中間業者(産地代行店、産地ブローカー、産地問屋、中間ブローカー、前売り問屋、そして従来型小売店等)が一切介入しない分、より良い商品作りに弊社の英知と経験、技術を傾注することが出来ます。本当に妥協のない最高の商品作りの環境が醸成されつつあるのではないか?と考えています。弊社では材料からデザイン、配色、製織、縫製に至るまで全てに拘って商品作りが出来る事を願って日々精進して居ります。名前だけのブランドよりも老舗メーカーとして高い品質の自社ブランドに脱皮する千載一遇のチャンス到来であると考え、より良い商品作りにチャレンジして行く覚悟です。

大平織物株式会社:平井基之